【不動明王】真言(マントラ)の効果がすごい?言葉には魂が宿り言霊となる!

この世の中には、苦しみや悲しみを抱えて、もがきながらも

一生懸命に生きている人がたくさんいると思います。

生霊、悪霊、恨みそして悪意からお守りください。と願っている人や

他人への恨みや悪意、嫉妬を抱かず平穏に生きていきたいと願っていても...

過去の自分を振り返れば恐ろしくなる時があります。

自分もその1人であることに気付く時があります。

 

f:id:yumekanau248:20210123000914j:plain

不動明王

そんな時は【不動明王真言】唱えたり、聞き流しているだけでも

不動明王の功徳・ご利益が与えられます。

ご利益は以下のようなものであります。

 

〔開運効果〕〔現世利益〕〔心願成就〕〔商売繁盛〕
 
〔当病平癒〕〔健康長寿〕〔身体健全〕〔安産成就〕


〔交通安全〕〔悪霊退散〕〔災厄消除〕〔邪気払い〕

 

〔厄除け〕 〔厄払い〕 〔部屋浄化〕〔調伏〕

 

〔戦勝祈願〕〔国家安泰〕〔難病撃破〕〔認知症克服〕〔癌細胞撃破〕

などがあると言われています。

 

 

不動明王という仏の存在を心から信じ、手を合わせ

真言を唱えることで功徳・ご利益が与えられます。

 

不動明王の恐ろしい憤怒の顔相は

「必ず、苦しむ人々を救い上げる」という固い意志の表れです。

大変、慈悲深い明王様です。

 

【祈るところ、必ず霊験あり】と言われる不動明王

 

「霊験」とは、神仏に祈願、信仰して与えられる

不可思議な現象、ご利益、御力のことをいいます。

 

不動明王とは?

元々はインド神話の三大神の一人であるシヴァ神の別名とされ

その梵名はアチャラナータと言います。

 

その意味は「動かない(不動)守護神」です。

 

日本へは空海によって持ち込まれ、密教の最高位である

大日如来の化身とも言われています。

 

大日如来の化身?

 

普段は柔和な大日如来が、優しさだけでは通用しない人々を

救済するために、あえて怒りの形相をしているのです。

 

真言宗天台宗日蓮宗などの宗派および修験道

広く信仰されるようになっていきました。

 

邪悪な相手には徹底的に厳しく、人が間違った道へ進もうとした時には

正しい道へと戻れるように諭してくれる存在であり、

全国各地ではお不動さん、または不動尊と呼ばれ親しまれています。

 


佛力【不動明王真言】癌細胞完全消除 +運気上昇+商売繁盛+浄化作用+厄災消滅 強運オートマチック動画【不動明王心咒】【Fudo Myoo Mantra】

 

不動明王真言とは?

 

不動明王真言は長さの違うものがいくつかあります。

不動真言として一般的に知られているのが小咒(しょうしゅ)

「ノウマク サンマンダ バザラダン カン」

 

次に長いものが慈救咒 (じくしゅ)

「ノウマク サンマンダ バサラダン センダンマカロシャダヤ ソハタヤ ウンタラタ カンマン」通常よく使用されています。

 

そして最も長いものが火界咒(かかいしゅ)

「ノウマク サラバタタギャテイビャク サラバボッケイビャク サラバタタラタ センダマカロシャダ ケンギャキギャキ サラバビギナン ウンタラタ カンマン」

特別な護摩の時に使用されている真言です。

 

この真言の意味は

「激しく大いなる怒りを表す姿をしていて、とても大きな力を示される不動明王よ。私の迷いを打ち砕き、障害を取り除いてください。そしてどうか私の願いを叶えてください。」

となります。

 

真言は唱えてこそ、ご利益があると信じられています。

言葉には魂が宿り言霊となると考えられているからです。

そして、言霊の力により仏へと救済を願う気持ちが届くのです。

 

 

 

真言は、その効果が信じられ、多くの人に唱えられてきました。

真言を唱えることによる効果は、先に紹介したご利益の通りですが

心を支配していた迷いや欲望、そして煩悩を

取り除く手助けをしてくれると言われています。

 

新たな気持ちで物事を進めることができるわけです。

 

不動明王真言は、常に弱い心や欲により負けそうな心を

律してくれて正しい道へと導いてくれる手助けをしてくれるのです。

 

また、困難に立ち向かっている時にも不動明王真言

絶大な力を発揮すると考えられています。

 

その理由は、不動明王真言は目の前に立ちはだかる壁を

取り除く手助けをしてくれるからです。

 

どれだけ頑張ってもなかなか困難から抜け出せないと感じる時には

不動明王真言を唱えることで再び困難へと向かって立ち上がる

勇気を授けてくれる効果があると信じられているのです。

 

心のなかで打ち砕きたい困難を思い浮かべながら真言を唱えることで

気持ちを落ち着かせることができるとも言われています。

 

f:id:yumekanau248:20210123003221j:plain

 

密教の教えで大切と言われている三密?

 

この三密とは「身」「口」「意」です。

 

身とは手で印を結ぶこと、口とは真言を唱えること

意とは仏と一体となることを表しています。

 

この三密を意識して唱える事が不動明王真言の唱え方では大切となります。

一般の人には難しくて正確に印を結ぶことは難しい思いますので

真言を唱えるだけでも充分に効果があると言われています。

 

密教の世界では、不動明王大日如来の化身として

教えに従わないものを調教・救済する仏と考えられています。


炎の光背(迦楼羅炎)を背にし、左手には、煩悩を縛る羂索を持ち、

右手には、他者と自己の煩悩を断ち切る諸刃の剣を持っています。


お不動さんと呼び親しまれる不動明王は、私たちにとって頼もしく力強い存在です。

 

動かないもの、あるいは山のように動じないものを

表現した厳しい姿が特徴的な仏様です。

 

背後に迦楼羅炎という火災光をもち、異端を制し、煩悩を焼き尽くすとされています。

 

顔は怒りを表して、額に水波のようなシワを寄せ、左右の眼の大きさが

違うものや、閉じた口から牙歯が出ているものが多いです。


眼の大きさが異なるのは、一方は地を見つめ、もう一方は天を眺めるためであり

この眼に合わせて牙の向きもくい違っている場合もあります。


右手には、内に向かって煩悩を滅ぼし中道を悟らせるための剣を持ち

左手には、ヒジを曲げて索と呼ばれる凡夫を縛って菩提へと導く道具を持っています。


仏には珍しい怒りの表情は、人々を守り導くための使命をわかりやすく示しています。

 

つまり、教えを説いただけでは聞き入れようとせず反抗するものに対して

眼をむき、歯を出して、その威力で説き伏せようとする仏様です。

 

大日如来の命を受けて、忿怒の姿をした不動明王

襲い掛かる災難に敢然と立ち向かって人々を守り、また悪行に対しては

厳しく叱責して導こうとする、いわば厳父のような働きをして下さいます。

 

お不動さんに向かって手を合わせる時は

私の悩みを、弱さを、焼き尽くして下さい。

そして、お不動様のように、どんな苦難でも打ち砕く事が出来る

自分になれますように、見守り下さい。という気持ちでお参りする事が、

揺るがない動じないの精神を手に入れる事が出来るのでは?と思います。

 

 

 

迷いの世界から煩悩を絶ちきり、仏の道を教えてくれる尊い存在と思います。

 

 

 

 

【阿弥陀如来】真言(マントラ)四十八願という誓いとは?

阿弥陀如来とは

f:id:yumekanau248:20210119212538j:plain

阿弥陀如来

阿弥陀如来は、命あるものすべてを救うと四十八願という

誓いを立て「南無阿弥陀仏」と唱える人々の臨終には西方浄土から

迎えにきて必ず極楽浄土へ往生させてくれることを約束しました。

 

梵名はアミターバやアミターユスといいます。

アミターバは「量りしれない光を持つ者」

アミターユスは「量りしれない寿命を持つ者」の意味で

西方にある極楽浄土という仏国土(浄土)に導く

無限の寿命を持つ如来ということから無量寿如来ともいいます。

 

阿弥陀如来真言

阿弥陀如来真言は「おん あみりた ていせい からうん」です。

阿弥陀如来の名前をサンスクリット語でそのまま発音した音に近い読み方です。

 

新義真言宗等一部宗派では『オン・アミリタ・テイゼイ・カラ・ウン』と読みます。

 

 

「おん あみりた ていせい からうん」という

音の持つ波動がエネルギーとして宇宙に働きかけるのです。

 

真言を口に出して唱えることは阿弥陀如来の持つ働きと存在の

エネルギーを宇宙に放ち大変な影響力を与えることなのです。

 


阿弥陀如来梵音【Mantra to pay evil,cakra 願いが叶う真言 安らかな暮らし・重病人延命祈願・極楽への往生・来世での救済・能力開発・作業用BGM】अमितायुस्Amitāyus

 

阿弥陀如来真言マントラ)のご利益は、

いつも静穏な心を得ることができ、現世でも極楽浄土に

生きるような豊かな生活ができることです。

心が苦しい時や精神的に救いを求めている時は唱えてみましょう。

 

阿弥陀如来四十八願とは?

 

第一願 (無三悪趣の願・むさんまくしゅのがん)  

設我得仏国有地獄餓鬼畜生者不取正覚

たとえわたし(法蔵菩薩)が仏になることができても、わたしの国に

地獄・餓鬼・畜生の三悪道の者がいるとするならば、わたしは決して仏になりません。

 

第二願 (不更悪趣の願・ふきょうあくしゅのがん)

設我得仏国中人天寿終之後復更三悪道者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々が命終後に

再び地獄・餓鬼・畜生の三悪道に陥るならば、わたしは決して仏になりません。

 

第三願 (悉皆金色の願・しっかいこんじきのがん)

設我得仏国中人天不悉真金色者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々が

金色に輝く身にならない限り、わたしは決して仏になりません。

 

第四願 (無有好醜の願・むうこうしゅのがん)

設我得仏国中人天形色不同有好醜者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々の姿や色が

同じではなく、美醜の差があるならば、わたしは決して仏になりません。

第五願 (令識宿命の願・りょうしきしゅくみょうのがん)

設我得仏国中人天不識宿命下至不知百千億那由他諸劫事者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々、宿命を得ず、限りない過去のことまで知り尽くすことができないなら、わたしは決して仏になりません。

 

第六願 (令得天眼の願・りょうとくてんげんのがん)

設我得仏国中人天不得天眼下至不見百千億那由他諸仏国者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々が

天眼通を得ずに、数限りない諸仏の国を見通すことができないならば

わたしは決して仏になりません。

 

第七願(天耳遥聞の願・てんにようもんのがん)

設我得仏国中人天不得天耳下至聞百千億那由他諸仏所説不悉受持者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々が

天耳通を得ず、数限りない諸仏がたの国の様子を見通すことができないならば

わたしは決して仏になりません。

 

第八願 (他心悉知の願・たしんしつちのがん)

設我得仏国中人天不得見他心智下至不知百千億那由他諸仏国中衆生心念者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々が

他心通を得ず、数限りない諸仏がたの心を知り尽くすことができないならば

わたしは決して仏になりません。

 

第九願 (神足如意の願・じんそくにょいのがん)

設我得仏国中人天不得神足於一念頃下至不能超過百千億那由他諸仏国者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々が

神足通を得ず、一瞬間に数限りない諸仏がたの国々を飛び回ることができないなら

わたしは決して仏になりません。

 

第十願 (不貪計心の願・ふとんげしんのがん)

設我得仏国中人天若起想念貪計身者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々が

想念を陥ってわが身に執着するならば、わたしは決して仏になりません。

 

第十一願 (必至滅度の願・ひっしめつどのがん)

設我得仏国中人天不住定聚必至滅度者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々が正定聚に入り

必ずさとりを得ることができないならば、わたしは決して仏になりません。

 

第十二願 (光明無量の願・こうみょうむりょうのがん)

設我得仏光明有能限量下至不照百千億那由他諸仏国者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、光明に限りがあって数限りない

諸仏がたの国々を照らさないならば、わたしは決して仏になりません。

 

第十三願 (寿命無量の願・じゅみょうむりょうのがん)

設我得仏寿命有能限量下至百千億那由他劫者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、寿命に限りがあって、はかり知れない

遠い未来にでも尽きることがあるならば、わたしは決して仏になりません。

 

第十四願 (声聞無量の願・しょうもんむりょうのがん)

設我得仏国中声聞有能計量下至三千大千世界声聞縁覚於百千劫悉共計校知其数者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の声聞の数に限りがあって
世界中のすべての声聞や縁覚が長い間、協力し計算して

その数を知ることができるなら、わたしは決して仏になりません。

 

第十五願(眷属長寿の願・けんぞくちょうじゅのがん)

設我得仏国中人天寿命無能限量除其本願修短自在若不爾者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても

わたしの国の天人や人々の寿命には限りがないでしょう

ただし願によりその長さを自由にしたいものは別でそうでなければ

わたしは決して仏になりません。

 

第十六願 (離諸不善の願・りしょふぜんのがん)

設我得仏国中人天乃至聞有不善名者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々が

悪を現す言葉があるとでも耳にするならば、わたしは決して仏になりません。

 

第十七願 (諸仏称名の願・しょぶつしょうみょうのがん)

設我得仏十方世界無量諸仏不悉咨嗟称我名者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、ずべての世界の数限りない仏が

皆わたしの名をほめたたえないようならば、わたしは決して仏になりません。

 

第十八願 (至心信楽の願・ししんしんぎょうのがん)

設我得仏十方衆生至心信楽欲生我国乃至十念若不生者不取正覚唯除五逆誹謗正法

たとえわたしが仏になることができても、すべての人々が

心のドン底からまこごろこめて、わたしに信仰のすべてをささげ

わたしの浄土に生まれたいと願うそうして、わずか十声でも念仏を称える

このようでなければ、わたしは決して仏になりません。

ただ五逆と謗法をおかした者だけは救うことはできません。

 

第十九願 (至心発願の願・ししんほうがんのがん)

設我得仏十方衆生菩提心修諸功徳至心発願欲生我国臨寿終時仮令不与大衆囲繞現其人前者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、すべての人々がさとりを目ざし

もろもろの功徳を積み重ね、心からわたしの国に生れたいと願うなら命終のとき

わたしが多くの聖者たちとともにその人の前に現れましょう。

そうでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第二十願(至心回向の願・ししんえこうのがん)

設我得仏十方衆生聞我名号係念我国植諸徳本至心廻向欲生我国不果遂者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、すべての人々がわたしの名である

六字名号を聞きて、この国に思いをかけ、多くの功徳を積んで心からこの功徳により
わたしの国に生まれたい願うなら、その願いをきっと成就させましょう。

そうでなければわたしは決して仏になりません。

 

第二十一願(具足諸相の願・ぐそくしょそうのがん)

設我得仏国中人天不悉成満三十二大人相者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々、仏と同じ

三十二相のすぐれた相を完全に備えなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第二十二願 (還相回向の願・げんそうえこうのがん)
設我得仏他方仏土諸菩薩衆来生我国究竟必至一生補処除其本願自在所化為衆生故被弘誓鎧積累徳本度脱一切遊諸仏国修菩薩行供養
十方諸仏如来開化恒沙無量衆生使立無上正真之道超出常倫諸地之行現前修習普賢之徳若不爾者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、他方仏土の諸菩薩衆が

私の国に生まれてくれば必ず一生補処という菩薩最高の位を得るでしょう


ただしその菩薩の願によってはその限りではなく、人々を自由に導くため堅い決心で

多くの功徳を積み、すべてのものを救い、諸仏の国に行き菩薩として修行し
数限りない人々を導き、最上の証りを得させようとするものは別で

菩薩通常の各段階の行をこえ出て即座に限りない慈悲行を行うこともできるのです。
そうでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第二十三願(供養諸仏の願・くようしょぶつのがん)

設我得仏国中菩薩承仏神力供養諸仏一食之頃不能遍至無数無量那由他諸仏国者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の菩薩が、わたしの

不可思議な力を受けて、諸仏を供養するにあたり、一度食事の短時間にそれら

無数の国々に至ることができないならば、わたしは決して仏になりません。

 

第二十四願 (供養如意の願・くようにょいのがん)

設我得仏国中菩薩在諸仏前現其徳本諸所欲求供養之具若不如意者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の菩薩が、諸仏の前で功徳を積むにあたり、供養の品を望みのままに得られないなら、わたしは決して仏になりません。

 

第二十五願 (説一切智の願・せついっさいちのがん)

設我得仏国中菩薩不能演説一切智者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の菩薩が、この上ない

智慧について自由に説法ができないならば、わたしは決して仏になりません。

 

第二十六願(得金剛身の願・とくこんごうしんのがん)

設我得仏国中菩薩不得金剛那羅延身者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の菩薩が

金剛力士のような強い体が得られないなら、わたしは決して仏になりません。

 

第二十七願 (万物厳浄の願・ばんもつごんじょうのがん)

設我得仏国中人天一切万物厳浄光麗形色殊特窮微極妙無能称量其諸衆生乃至逮得天眼有能明了弁其名数者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々の用いるものが

すべて清らかで美しく色も形もくらべものなく極めてすぐれています。

かりに多くの人々が天眼通を得てそのありさまを明らかに知り尽せるようであれば

わたしは決して仏になりません。

 

第二十八願 (道場樹の願・どうじょうじゅのがん)

設我得仏国中菩薩乃至少功徳者不能知見其道場樹無量光色高四百万里者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の菩薩で

もし功徳の少ないものでも、わたしの国の菩提樹が限りなく光り輝やき

百万里の高さであることを知らないなら、わたしは決して仏になりません。

 

第二十九願(得弁才智の願・とくべんさいちのがん)

設我得仏国中菩薩若受読経法諷誦持説而不得弁才智慧者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の菩薩が教えを受け

口にとなえて心に保ち、人々に説き聞かして、自由自在に弁舌をふるう智慧

得られないならば、わたしは決して仏になりません。

 

第三十願 (弁才無尽の願・べんざいむじんのがん)

設我得仏国中菩薩智慧弁才若可限量者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の菩薩が心のままに

弁舌をふるう智慧に限りがあるならば、わたしは決して仏になりません。

 

第三十一願 (国土清浄の願・こくどしょうじょうのがん)

設我得仏国土清浄皆悉照見十方一切無量無数不可思議諸仏世界猶如明鏡覩其面像若不爾者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、国土は清らかで明鏡に顔をうつすように

すべての諸仏の世界を照らし出して見ることができましょう

そうでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第三十二願 (妙香合成の願・みょうこうごうじょうのがん)


設我得仏自地已上至于虚空宮殿楼観池流華樹国中所有一切万物皆以無量雑宝百千種香而共合成厳飾奇妙超諸人天其香普熏十方世界菩薩聞者皆修仏行若不如是者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、大地から天空まで宮殿・楼観・流水

美花など国内一切のものが宝物と芳香で成りその荘厳は、天人の世界に

すぐれその荘厳は天人の世界にすぐれその芳香をかいだ菩薩は皆、仏道に励みます。

そうでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第三十三願 (触光柔軟の願・そっこうにゅうなんのがん)

設我得仏十方無量不可思議諸仏世界衆生之類蒙我光明触其身者身心柔軟超過人天若不爾者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても

すべての諸仏の世界のものが、わたしの光明にてらされてそれを身に受けたなら

身も心も和らぎ、天人や人々をこえすぐれるでしょう

もしそうでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第三十四願 (聞名得忍の願・もんみょうとくにんのがん)

設我得仏十方無量不可思議諸仏世界衆生之類聞我名字不得菩薩無生法忍諸深総持者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、すべての諸仏の世界の人たちが

六字の名号を聞きて、菩薩の無生法忍と、教えを記憶して忘れない力を

得られないならば、わたしは決して仏になりません。

 

第三十五願 (女人往生の願・にょにんおうじょうのがん)

設我得仏十方無量不可思議諸仏世界其有女人聞我名字歓喜信楽菩提心厭悪女身寿終之後復為女像者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、すべての限りない諸仏の世界の女性が

六字の名号を聞きて、喜び信じさとりを開く心を起こし、女性の身をきらいつつ

命終後に再び女性の身になるなら、わたしは決して仏になりません。

 

第三十六願 (聞名梵行の願・もんみょうぼんぎょうのがん)

設我得仏十方無量不可思議諸仏世界諸菩薩衆聞我名字寿終之後常修梵行至成仏道若不爾者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、すべての限りない諸仏の世界の菩薩が

六字の名号を聞き、命終後に常に清らかな修行をして仏道を成しとげるでしょう。

そうでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第三十七願 (作礼致敬の願・さらいちきょうのがん)

設我得仏十方無量不可思議諸仏世界諸天人民聞我名字五体投地稽首作礼歓喜信楽修菩薩行諸天世人莫不致敬若不爾者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、すべての限りない諸仏の世界の天人や

人々が六字の名号を聞いて、土下座してうやうやしく礼拝し

喜び信じて菩薩の修行に励むなら天の神や世の人々は残らず皆、うやまうでしょう。

そうでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第三十八願 (衣服随念の願・えぶくずいねんのがん)

設我得仏国中人天欲得衣服随念即至如仏所讃応法妙服自然在身若有裁縫擣染浣濯者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々が

衣服を欲せば、思いままにすぐに現れ、仏の心にかなった尊い衣服を自然に

身につけているでしょう。裁縫、染め直し、洗濯の必要はありません。

そうでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第三十九願 (常受快楽の願・じょうじゅけらくのがん)

設我得仏国中人天所受快楽不如漏尽比丘者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々の受ける楽しみが、すべての煩悩を断ちきった修行僧と同じでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第四十願(見諸仏土の願・けんしょぶつどのがん)

設我得仏国中菩薩随意欲見十方無量厳浄仏土応時如願於宝樹中皆悉照見猶如明鏡覩其面像若不爾者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の菩薩が思いのままに

すべての数限りない清らかな仏の国々を見たいと思うなら

いつでも願いどおりに明鏡に顔をうつすように、宝樹の中にそれらをすべて照ら出してはっきり見ることができます。そうでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第四十一願 (聞名具根の願・もんみょうぐこんのがん)

設我得仏他方国土諸菩薩衆聞我名字至于得仏諸根闕陋不具足者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、他の国の菩薩たちが六字の名号を聞きて

仏に成るまでの間、その身に不自由な点があるなら。わたしは決して仏になりません。

 


第四十二願(聞名特定の願・もんみょうとくじょうのがん)

設我得仏他方国土諸菩薩衆聞我名字皆悉逮得清浄解脱三昧住是三昧一発意頃供養無量不可思議諸仏世尊而不失定意若不爾者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、他の国の菩薩が

六字の名号を聞けば皆清浄解脱三昧を得て直ちに数限りない諸仏を供養し

しかも三昧の心を乱さないでしょう。

そうでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第四十三願(聞名生貴の願・もんみょうしょうきのがん)

設我得仏他方国土諸菩薩衆聞我名字寿終之後生尊貴家若不爾者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、他の国の菩薩が六字の名号を聞きけば

命終後に人々から尊ばれる家に生まれることができます。

そうでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第四十四願 (聞名具徳の願・もんみょうぐとくのがん)

設我得仏他方国土諸菩薩衆聞我名字歓喜踊躍修菩薩行具足徳本若不爾者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、他の国の菩薩が六字の名号を聞けば

喜び勇んで菩薩の修行に励み多くの功徳を完全に身に具えるでしょう。

そうでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第四十五願(聞名見仏の願・もんみょうけんぶつのがん)

設我得仏他方国土諸菩薩衆聞我名字皆悉逮得普等三昧住是三昧至于成仏常見無量不可思議一切諸仏若不爾者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、他の国の菩薩が

六字の名号を聞いて皆、普等三昧を得て、仏になるまでの間

数限りないすべての諸仏の姿を身奉ることができます。

そうでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第四十六願 (随意聞法の願・ずいいもんぽうのがん)

設我得仏国中菩薩随其志願所欲聞法自然得聞若不爾者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の菩薩が聞きたく思う

説法を自然に聞くことができないなら。わたしは決して仏になりません。

 

第四十七願 (聞名不退の願・もんみょうふたいのがん)

設我得仏他方国土諸菩薩衆聞我名字不即得至不退転者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、他の国の菩薩たちが、六字の名号聞いて

不退転の位に至ることができないならば、わたしは決して仏になりません。

 

四十八願 (得三法忍の願・とくさんぽうにんのがん)

設我得仏他方国土諸菩薩衆聞我名字不即得至第一第二第三法忍於諸仏法不能即得不退転者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、他の国の菩薩たちが

六字の名号を聞きて、直ちに音響忍、柔順忍、無生法忍を得ることができず。

また諸仏の説法において不退転の位に至ることができないならば

わたしは決して仏になりません。

 

浄土真宗の経典『仏説無量寿経』に説かれる阿弥陀仏四十八願

すべての衆生を救い、平和・平等・自由の世界を願う阿弥陀如来

この四十八願に現代を生きる人間と社会の課題を尋ねられてる。

 

【光明真言】全ての災難を取り除き先祖供養の効果もある最強の真言!

光明真言とは?

f:id:yumekanau248:20210116212959j:plain

大日如来坐像

光明真言とは真言宗において最も良く唱えられているもので

二十三文字の梵字から成り最後の休止符、「ウン」を加えても

二十四文字と非常に短いですが、立派な功徳のあるお経の一つで

漢文にも日本語にも訳されていない、お経であり大日如来真言の一つです。

 

これを一心に唱えると、すべての災いを取り除くことができる。

効果絶大強力なパワーのある真言である。

 

光明真言秘説によると

我ら命あるもの全ては生まれながらの仏であり

仏の徳が一つも欠けていることは無い。

しかし、無知や煩悩に覆われてしまい元々自分が仏であることを知らない。

自分の外に仏を求めて、永遠にさまようことは非常に浅はかだといえる。

大日如来という仏は全ての仏の大本であり

全ての命あるものの親であるといえるので、大日如来の慈悲は止むことが無い。

この元々仏に備わる知恵とご利益を23文字の梵字に封じ込めた。

無知・煩悩の闇を照らし、本来自分が仏であると悟らせようと

これを全ての命あるものに与えた。これを光明真言という。

 

光明真言(こうみょう しんごん)

おん あぼきゃ べい

ろしゃのう まかぼだらまに

はんどま じんばら

はらばりたや うん

 


光明真言 【Mantra Exorcism cakra 全ての災難を取り除く・運気上昇・除霊・先祖供養・霊障除去・作業用BGM】Mantra of light Buddhism 大日如来

 

【光明真言】正しくは

「不空大灌頂光真言(ふくうだいかんぢょうこうしんごん)」と言い

もっとも短い言い方をすれば、「光言(こうごん)」とも言われる。


真言は、『不空羂索神変真言経』(菩提流志訳)

または『不空羂索毘盧遮那仏大灌頂光真言』(不空訳)

という密教経典に説かれています。

 

光明真言の功徳は?

『不空羂索毘盧遮那仏大灌頂光真言』によれば

「この真言を聞くこと二、三遍或いは七遍すれば、よく一切の罪障を滅する云々」

と説かれています。


光明真言の功徳が甚大である事は古来から

様々な説話に登場しながらうたわれており

現在も真言宗だけに限らず、天台宗

四国八十八カ所霊場・西国三十三観音霊場など

お遍路や巡礼場面でも盛んに唱えられています。

 

高野山傳燈大阿闍梨の大栗道榮氏によれば

光明真言はすべての仏様に通用する云わば万能な真言であり

遍路の際にご本尊の真言が分からなかったり

忘れたり、間違ったりしたときは...

光明真言を一遍唱えれば、許されてしまうという。

更にとても有り難いお経なので、ご先祖さまへ

仏壇の前やお墓で唱えると大変な供養になります。

 

光明真言はその名の示すが如く、光の言霊である。

宇宙そのものである大日如来のご真言

マントラ自体に霊力が備わっています。

 

真言とは唱えているだけで自分の内側から

高次元の愛の光が波動になって溢れ出します。

 

そして自分自身の心が言霊によって満たされます。

そのプラスエネルギーが充満されると

光は自然に溢れ出して外へ向かい出します。

そして今度は他人へ良いエネルギーを放出できます。

 

人の「気」や「エネルギー」は

幸も不幸も光も影もみんな同じように伝わっていきます。


弘法大師上人が開かれた真言宗は、教相事相一体。

教相で理論を学び、事相でそれを実践する。

どちらに偏ってもだめなのである。

 

真言も同じで、むしろ意味や構成を理解するよりも

自分の口で声を出して唱え、骨伝導によって

自分の声が御仏の声となって、また自分に届くことが大事。

 

光明真言は潜在意識を書き換える?

 

f:id:yumekanau248:20210116221128j:plain

潜在意識を書き換える

 

そもそも「真言」とはどんな意味を持つのでしょうか?

 

真言とは、密教の呪文のことを言います。

仏教の概念である真言マントラ)もともとは

古代インドで仏陀如来を目指して修行する菩薩が説いた

聖なる言葉だったと言われています。

 

口に出し唱えることで、真言は言霊として効力を

発揮して天や宇宙と共鳴していきます。

 

そして、自分自身の唇や鼓膜、身体中の組織を通じて

細胞のひとつひとつにまで伝達していくのです。

 

その結果として...

悪い波動を抱えていた人の波動が真言の持つ良い波動に変化していき

人生が突然大きく変わるような奇跡の現象が生じてくるのです。

 

今、人生がうまくいっていない感じがする人

何となく悪い波動に包まれているような感じがする人

潜在意識が汚染されているような感じがする人

生霊に取りつかれていると感じる人などは

 

無心で光明真言を唱えて

自分自身で潜在意識をクリーニングしてみましょう。

 

きっと、頑張りすぎていた心が柔らかくなり

嘘のように軽くなっていきますよ。

 

光明真言はどんな意味のお経なの?

 

f:id:yumekanau248:20210116224447j:plain

光明真言

 

オン アボキャ ベイロシャノウ マカ ボダラ 

マニ ハンドマ ジンバラハラバリタヤ ウン

 

大日如来さまにお願い致します。

私たちの進む道を無量の光で遍く照らし出し、どうか成就するようお導き下さい。」

「光明真言」は大日如来さまのご真言で「祈りの言葉」です。

 

また、五智如来の総真言です。

 

初めのオンとは、供養であり、この一言を唱えるだけで全ての素晴らしい香り

花、灯り、料理・飲み物、衣服などが、全ての仏を供養するのに十分な程に現れる。

 

次のアボキャベイロシャノウとは、大日如来の物事の本質を明らかにして

統合させる絶対なる智慧であり、全ての仏のご利益はこの言葉にこもる。

 

次のマカボダラとは、悟りを求める心であり

薬師如来=阿閦如来の力である。

光明真言を唱えると、業も病も災いも癒やし

治すというのは、この言葉があるからである。

 

次のマニとは、仏の豊かさを現し、宝生如来の力である。

光明真言を唱えると現世と来世の大いなる豊かさが与えられるのは

この言葉があるからである。

 

次のハンドマとは、阿弥陀如来の力である。

光明真言を唱えると極楽往生出来るというのは、この言葉があるからである。

 

次のジンバラハラバリタヤとは

不空成就如来=釈迦如来の力であり

全ての命あるものを救う行動を表す。

 

次のウンとは、悪を滅する力である。

光明真言を唱えると、地獄を破壊し、悪魔の妨害を砕き、怨敵を退治し

災難を滅するなどのご利益があるのはこの言葉があるからである。


書物の中で説いている光明真言のご利益を紹介すると

 

この光明真言が唱えられているのを聞いたら、考えられる限りの

あらゆる悪事を重ねた罪もたちまち消え去り、菩薩になる。


まして、もし信心をもって

たった1回でも光明真言を唱えたなら

全てのお経を唱えるのにも勝るご利益がある。


もし、臨終間際の人のために1回唱えたら

阿弥陀如来が極楽浄土に往生させてくれる。

 

この五仏を五智如来という。

 

(※) 文中の五智如来とは

正式には大日如来、阿閦如来宝生如来阿弥陀如来不空成就如来の五如来ですが

 

原文中で

阿閦如来薬師如来不空成就如来と釈迦如来が同体であると示されています。

 

この記事では、みなさんに馴染みがある方が伝わりやすいと考えて

阿閦如来薬師如来不空成就如来=釈迦如来と記載しました。

(あらかじめご了承ください。)

 

光明真言の効果について

 

f:id:yumekanau248:20200122211936j:plain


光明真言の効果は、人生の災難を取り除く効力があるとされています。

心を静かにして唱えることで、全ての災難が消え去ると言われています。

 

真言宗密教僧は加持祈祷を行いますが

その際に唱えられるのも光明真言です。

それだけ効果がある真言なのです。

先祖供養

光明真言は、人生の災難を取り除くほかに

先祖供養の効果もあるとされています。

 

光明真言は、読んで字のごとく、強い光の波動を帯びているので

ご先祖が悪い因縁や悪霊に苦しんでいるときも、宇宙の中心から下ろした

大日如来の光の波動により浄化させ、還元する効力があるのです。

 

先祖供養は人生を良い方向へ運び、災いを軽減させる効果があります。

 

運勢が悪かったり、身内に不幸が続いたりするときには

仏壇に向かって、あるいは天に向かって光明真言を唱えてみると

邪気を払う効果が得られるでしょう。


宇宙の中心意識 ビルシャナ仏=大日如来

宇宙の意識を神格化したものが、ビルシャナ仏と言います。

別名 ビルシャナ大日如来大日如来と言います。

 

ビルシャナ仏の意識が地上に降りてくる。

 

ビルシャナ仏の中心意識がすべての命を救うのです。

魂・霊・体・命・エネルギー全てを光に還元する!!

フルパワー化して発動したものを言語にしたものが真言なんです。


だからこそ光明真言を1万回唱えると

地獄の餓鬼・畜生・亡者やロクドウで苦しんでいる

ご先祖様のDNAに入っている一切の不浄のもの救われて

泡となり浮き出てきて光に還元するのです。


だから最高の先祖供養なんです!!

 

そして自分供養になるのです!

 

自分を供養することが、魂・霊・体・命・エネルギーを

供養することが最高の先祖供養になるのです。

 

魂も霊も意識体です。

 

霊という言葉が、意識体全てを表すものに対して魂という言葉は

身体という3次元の肉体に入っている意識体とうイメージです。

 

どうやら先に自分を供養することが大切で

その次に先祖供養だと言います。


生きながら供養できるのです。

感謝と愛だけの存在になるのです。

生きながら大日如来になるのです。

自分を供養するのが最高の先祖供養になる!

 

自分が生きているうちに供養するってどういうこと?と思いましたが

自分の魂・霊・命を供養すると光しかない状態になるのです。

自分を最高に供養したら、全ての先祖の供養が出来るのです!

 

過去・現在・未来の3世を救う供養ができる最強の真言です。

過去生の自分まで供養ができる!

時間軸もパラレルワールドも変わってしまうのです!

 

真言」とは相手の心に訴えかける正しい言葉です。

真の言葉には命が宿り、相手の心をふるわせます。

そして、心を重ね力を貸して頂くのです。

日本では古来よりこのような言葉を「言霊」と呼んでいます。

 

大日如来さまは「遍照金剛」と呼ばれ

五色の智慧の光で一つも余すことなく

全てを照らし出してくれる仏さまです。

 

この真言をお唱えすると心の中に仏さまの智慧の光が

満ちあふれてきて、たとえ暗闇で迷っていようとも導き出してくれます。

一人で暗い中をさまよっていても、決して一人ではありません。

 

大日如来さまをはじめ、全ての仏さまが

姿を変えて私たちのすぐそばにお集まりになられて

必ず手を引いてくれるでしょう。

 

真言は、その意味を頭で理解することよりも

声に出して「唱える」ということが大切です。


唱えるということは、自分で声を出しながら

骨伝導によって、自分がその声を聞いている

ということに気がつくでしょう。

 

これがとても大切なことで、「唱える」ことによって

自分自身の中に仏さまの限りない大きな功徳を聴きとり

受け止めていることになるのです。

 

ですから唱えることで仏の功徳が身に付き、それによって迷いの

道が開けていろいろな功徳を受けることが出来るのです。

 

 

最後に光明真言は何回唱えればいいの?

10000回唱えるのも最高の供養になると言われています。

108回(煩悩の数)7回 21回 49回(7の倍数)唱えるのも良いので

自分が出来る回数を唱えることからはじめましょう。

 

f:id:yumekanau248:20210116235638j:plain

大日如来の印を組み唱えると良いようです。

 

光明真言を唱えると自分の潜在意識の浄化作用がはじまり

人間関係が良い方向変わり、幸せな人生になっていきます。