【阿弥陀如来】真言(マントラ)四十八願という誓いとは?

阿弥陀如来とは

f:id:yumekanau248:20210119212538j:plain

阿弥陀如来

阿弥陀如来は、命あるものすべてを救うと四十八願という

誓いを立て「南無阿弥陀仏」と唱える人々の臨終には西方浄土から

迎えにきて必ず極楽浄土へ往生させてくれることを約束しました。

 

梵名はアミターバやアミターユスといいます。

アミターバは「量りしれない光を持つ者」

アミターユスは「量りしれない寿命を持つ者」の意味で

西方にある極楽浄土という仏国土(浄土)に導く

無限の寿命を持つ如来ということから無量寿如来ともいいます。

 

阿弥陀如来真言

阿弥陀如来真言は「おん あみりた ていせい からうん」です。

阿弥陀如来の名前をサンスクリット語でそのまま発音した音に近い読み方です。

 

新義真言宗等一部宗派では『オン・アミリタ・テイゼイ・カラ・ウン』と読みます。

 

 

「おん あみりた ていせい からうん」という

音の持つ波動がエネルギーとして宇宙に働きかけるのです。

 

真言を口に出して唱えることは阿弥陀如来の持つ働きと存在の

エネルギーを宇宙に放ち大変な影響力を与えることなのです。

 


阿弥陀如来梵音【Mantra to pay evil,cakra 願いが叶う真言 安らかな暮らし・重病人延命祈願・極楽への往生・来世での救済・能力開発・作業用BGM】अमितायुस्Amitāyus

 

阿弥陀如来真言マントラ)のご利益は、

いつも静穏な心を得ることができ、現世でも極楽浄土に

生きるような豊かな生活ができることです。

心が苦しい時や精神的に救いを求めている時は唱えてみましょう。

 

阿弥陀如来四十八願とは?

 

第一願 (無三悪趣の願・むさんまくしゅのがん)  

設我得仏国有地獄餓鬼畜生者不取正覚

たとえわたし(法蔵菩薩)が仏になることができても、わたしの国に

地獄・餓鬼・畜生の三悪道の者がいるとするならば、わたしは決して仏になりません。

 

第二願 (不更悪趣の願・ふきょうあくしゅのがん)

設我得仏国中人天寿終之後復更三悪道者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々が命終後に

再び地獄・餓鬼・畜生の三悪道に陥るならば、わたしは決して仏になりません。

 

第三願 (悉皆金色の願・しっかいこんじきのがん)

設我得仏国中人天不悉真金色者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々が

金色に輝く身にならない限り、わたしは決して仏になりません。

 

第四願 (無有好醜の願・むうこうしゅのがん)

設我得仏国中人天形色不同有好醜者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々の姿や色が

同じではなく、美醜の差があるならば、わたしは決して仏になりません。

第五願 (令識宿命の願・りょうしきしゅくみょうのがん)

設我得仏国中人天不識宿命下至不知百千億那由他諸劫事者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々、宿命を得ず、限りない過去のことまで知り尽くすことができないなら、わたしは決して仏になりません。

 

第六願 (令得天眼の願・りょうとくてんげんのがん)

設我得仏国中人天不得天眼下至不見百千億那由他諸仏国者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々が

天眼通を得ずに、数限りない諸仏の国を見通すことができないならば

わたしは決して仏になりません。

 

第七願(天耳遥聞の願・てんにようもんのがん)

設我得仏国中人天不得天耳下至聞百千億那由他諸仏所説不悉受持者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々が

天耳通を得ず、数限りない諸仏がたの国の様子を見通すことができないならば

わたしは決して仏になりません。

 

第八願 (他心悉知の願・たしんしつちのがん)

設我得仏国中人天不得見他心智下至不知百千億那由他諸仏国中衆生心念者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々が

他心通を得ず、数限りない諸仏がたの心を知り尽くすことができないならば

わたしは決して仏になりません。

 

第九願 (神足如意の願・じんそくにょいのがん)

設我得仏国中人天不得神足於一念頃下至不能超過百千億那由他諸仏国者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々が

神足通を得ず、一瞬間に数限りない諸仏がたの国々を飛び回ることができないなら

わたしは決して仏になりません。

 

第十願 (不貪計心の願・ふとんげしんのがん)

設我得仏国中人天若起想念貪計身者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々が

想念を陥ってわが身に執着するならば、わたしは決して仏になりません。

 

第十一願 (必至滅度の願・ひっしめつどのがん)

設我得仏国中人天不住定聚必至滅度者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々が正定聚に入り

必ずさとりを得ることができないならば、わたしは決して仏になりません。

 

第十二願 (光明無量の願・こうみょうむりょうのがん)

設我得仏光明有能限量下至不照百千億那由他諸仏国者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、光明に限りがあって数限りない

諸仏がたの国々を照らさないならば、わたしは決して仏になりません。

 

第十三願 (寿命無量の願・じゅみょうむりょうのがん)

設我得仏寿命有能限量下至百千億那由他劫者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、寿命に限りがあって、はかり知れない

遠い未来にでも尽きることがあるならば、わたしは決して仏になりません。

 

第十四願 (声聞無量の願・しょうもんむりょうのがん)

設我得仏国中声聞有能計量下至三千大千世界声聞縁覚於百千劫悉共計校知其数者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の声聞の数に限りがあって
世界中のすべての声聞や縁覚が長い間、協力し計算して

その数を知ることができるなら、わたしは決して仏になりません。

 

第十五願(眷属長寿の願・けんぞくちょうじゅのがん)

設我得仏国中人天寿命無能限量除其本願修短自在若不爾者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても

わたしの国の天人や人々の寿命には限りがないでしょう

ただし願によりその長さを自由にしたいものは別でそうでなければ

わたしは決して仏になりません。

 

第十六願 (離諸不善の願・りしょふぜんのがん)

設我得仏国中人天乃至聞有不善名者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々が

悪を現す言葉があるとでも耳にするならば、わたしは決して仏になりません。

 

第十七願 (諸仏称名の願・しょぶつしょうみょうのがん)

設我得仏十方世界無量諸仏不悉咨嗟称我名者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、ずべての世界の数限りない仏が

皆わたしの名をほめたたえないようならば、わたしは決して仏になりません。

 

第十八願 (至心信楽の願・ししんしんぎょうのがん)

設我得仏十方衆生至心信楽欲生我国乃至十念若不生者不取正覚唯除五逆誹謗正法

たとえわたしが仏になることができても、すべての人々が

心のドン底からまこごろこめて、わたしに信仰のすべてをささげ

わたしの浄土に生まれたいと願うそうして、わずか十声でも念仏を称える

このようでなければ、わたしは決して仏になりません。

ただ五逆と謗法をおかした者だけは救うことはできません。

 

第十九願 (至心発願の願・ししんほうがんのがん)

設我得仏十方衆生菩提心修諸功徳至心発願欲生我国臨寿終時仮令不与大衆囲繞現其人前者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、すべての人々がさとりを目ざし

もろもろの功徳を積み重ね、心からわたしの国に生れたいと願うなら命終のとき

わたしが多くの聖者たちとともにその人の前に現れましょう。

そうでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第二十願(至心回向の願・ししんえこうのがん)

設我得仏十方衆生聞我名号係念我国植諸徳本至心廻向欲生我国不果遂者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、すべての人々がわたしの名である

六字名号を聞きて、この国に思いをかけ、多くの功徳を積んで心からこの功徳により
わたしの国に生まれたい願うなら、その願いをきっと成就させましょう。

そうでなければわたしは決して仏になりません。

 

第二十一願(具足諸相の願・ぐそくしょそうのがん)

設我得仏国中人天不悉成満三十二大人相者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々、仏と同じ

三十二相のすぐれた相を完全に備えなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第二十二願 (還相回向の願・げんそうえこうのがん)
設我得仏他方仏土諸菩薩衆来生我国究竟必至一生補処除其本願自在所化為衆生故被弘誓鎧積累徳本度脱一切遊諸仏国修菩薩行供養
十方諸仏如来開化恒沙無量衆生使立無上正真之道超出常倫諸地之行現前修習普賢之徳若不爾者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、他方仏土の諸菩薩衆が

私の国に生まれてくれば必ず一生補処という菩薩最高の位を得るでしょう


ただしその菩薩の願によってはその限りではなく、人々を自由に導くため堅い決心で

多くの功徳を積み、すべてのものを救い、諸仏の国に行き菩薩として修行し
数限りない人々を導き、最上の証りを得させようとするものは別で

菩薩通常の各段階の行をこえ出て即座に限りない慈悲行を行うこともできるのです。
そうでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第二十三願(供養諸仏の願・くようしょぶつのがん)

設我得仏国中菩薩承仏神力供養諸仏一食之頃不能遍至無数無量那由他諸仏国者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の菩薩が、わたしの

不可思議な力を受けて、諸仏を供養するにあたり、一度食事の短時間にそれら

無数の国々に至ることができないならば、わたしは決して仏になりません。

 

第二十四願 (供養如意の願・くようにょいのがん)

設我得仏国中菩薩在諸仏前現其徳本諸所欲求供養之具若不如意者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の菩薩が、諸仏の前で功徳を積むにあたり、供養の品を望みのままに得られないなら、わたしは決して仏になりません。

 

第二十五願 (説一切智の願・せついっさいちのがん)

設我得仏国中菩薩不能演説一切智者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の菩薩が、この上ない

智慧について自由に説法ができないならば、わたしは決して仏になりません。

 

第二十六願(得金剛身の願・とくこんごうしんのがん)

設我得仏国中菩薩不得金剛那羅延身者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の菩薩が

金剛力士のような強い体が得られないなら、わたしは決して仏になりません。

 

第二十七願 (万物厳浄の願・ばんもつごんじょうのがん)

設我得仏国中人天一切万物厳浄光麗形色殊特窮微極妙無能称量其諸衆生乃至逮得天眼有能明了弁其名数者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々の用いるものが

すべて清らかで美しく色も形もくらべものなく極めてすぐれています。

かりに多くの人々が天眼通を得てそのありさまを明らかに知り尽せるようであれば

わたしは決して仏になりません。

 

第二十八願 (道場樹の願・どうじょうじゅのがん)

設我得仏国中菩薩乃至少功徳者不能知見其道場樹無量光色高四百万里者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の菩薩で

もし功徳の少ないものでも、わたしの国の菩提樹が限りなく光り輝やき

百万里の高さであることを知らないなら、わたしは決して仏になりません。

 

第二十九願(得弁才智の願・とくべんさいちのがん)

設我得仏国中菩薩若受読経法諷誦持説而不得弁才智慧者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の菩薩が教えを受け

口にとなえて心に保ち、人々に説き聞かして、自由自在に弁舌をふるう智慧

得られないならば、わたしは決して仏になりません。

 

第三十願 (弁才無尽の願・べんざいむじんのがん)

設我得仏国中菩薩智慧弁才若可限量者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の菩薩が心のままに

弁舌をふるう智慧に限りがあるならば、わたしは決して仏になりません。

 

第三十一願 (国土清浄の願・こくどしょうじょうのがん)

設我得仏国土清浄皆悉照見十方一切無量無数不可思議諸仏世界猶如明鏡覩其面像若不爾者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、国土は清らかで明鏡に顔をうつすように

すべての諸仏の世界を照らし出して見ることができましょう

そうでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第三十二願 (妙香合成の願・みょうこうごうじょうのがん)


設我得仏自地已上至于虚空宮殿楼観池流華樹国中所有一切万物皆以無量雑宝百千種香而共合成厳飾奇妙超諸人天其香普熏十方世界菩薩聞者皆修仏行若不如是者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、大地から天空まで宮殿・楼観・流水

美花など国内一切のものが宝物と芳香で成りその荘厳は、天人の世界に

すぐれその荘厳は天人の世界にすぐれその芳香をかいだ菩薩は皆、仏道に励みます。

そうでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第三十三願 (触光柔軟の願・そっこうにゅうなんのがん)

設我得仏十方無量不可思議諸仏世界衆生之類蒙我光明触其身者身心柔軟超過人天若不爾者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても

すべての諸仏の世界のものが、わたしの光明にてらされてそれを身に受けたなら

身も心も和らぎ、天人や人々をこえすぐれるでしょう

もしそうでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第三十四願 (聞名得忍の願・もんみょうとくにんのがん)

設我得仏十方無量不可思議諸仏世界衆生之類聞我名字不得菩薩無生法忍諸深総持者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、すべての諸仏の世界の人たちが

六字の名号を聞きて、菩薩の無生法忍と、教えを記憶して忘れない力を

得られないならば、わたしは決して仏になりません。

 

第三十五願 (女人往生の願・にょにんおうじょうのがん)

設我得仏十方無量不可思議諸仏世界其有女人聞我名字歓喜信楽菩提心厭悪女身寿終之後復為女像者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、すべての限りない諸仏の世界の女性が

六字の名号を聞きて、喜び信じさとりを開く心を起こし、女性の身をきらいつつ

命終後に再び女性の身になるなら、わたしは決して仏になりません。

 

第三十六願 (聞名梵行の願・もんみょうぼんぎょうのがん)

設我得仏十方無量不可思議諸仏世界諸菩薩衆聞我名字寿終之後常修梵行至成仏道若不爾者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、すべての限りない諸仏の世界の菩薩が

六字の名号を聞き、命終後に常に清らかな修行をして仏道を成しとげるでしょう。

そうでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第三十七願 (作礼致敬の願・さらいちきょうのがん)

設我得仏十方無量不可思議諸仏世界諸天人民聞我名字五体投地稽首作礼歓喜信楽修菩薩行諸天世人莫不致敬若不爾者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、すべての限りない諸仏の世界の天人や

人々が六字の名号を聞いて、土下座してうやうやしく礼拝し

喜び信じて菩薩の修行に励むなら天の神や世の人々は残らず皆、うやまうでしょう。

そうでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第三十八願 (衣服随念の願・えぶくずいねんのがん)

設我得仏国中人天欲得衣服随念即至如仏所讃応法妙服自然在身若有裁縫擣染浣濯者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々が

衣服を欲せば、思いままにすぐに現れ、仏の心にかなった尊い衣服を自然に

身につけているでしょう。裁縫、染め直し、洗濯の必要はありません。

そうでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第三十九願 (常受快楽の願・じょうじゅけらくのがん)

設我得仏国中人天所受快楽不如漏尽比丘者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の天人や人々の受ける楽しみが、すべての煩悩を断ちきった修行僧と同じでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第四十願(見諸仏土の願・けんしょぶつどのがん)

設我得仏国中菩薩随意欲見十方無量厳浄仏土応時如願於宝樹中皆悉照見猶如明鏡覩其面像若不爾者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の菩薩が思いのままに

すべての数限りない清らかな仏の国々を見たいと思うなら

いつでも願いどおりに明鏡に顔をうつすように、宝樹の中にそれらをすべて照ら出してはっきり見ることができます。そうでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第四十一願 (聞名具根の願・もんみょうぐこんのがん)

設我得仏他方国土諸菩薩衆聞我名字至于得仏諸根闕陋不具足者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、他の国の菩薩たちが六字の名号を聞きて

仏に成るまでの間、その身に不自由な点があるなら。わたしは決して仏になりません。

 


第四十二願(聞名特定の願・もんみょうとくじょうのがん)

設我得仏他方国土諸菩薩衆聞我名字皆悉逮得清浄解脱三昧住是三昧一発意頃供養無量不可思議諸仏世尊而不失定意若不爾者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、他の国の菩薩が

六字の名号を聞けば皆清浄解脱三昧を得て直ちに数限りない諸仏を供養し

しかも三昧の心を乱さないでしょう。

そうでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第四十三願(聞名生貴の願・もんみょうしょうきのがん)

設我得仏他方国土諸菩薩衆聞我名字寿終之後生尊貴家若不爾者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、他の国の菩薩が六字の名号を聞きけば

命終後に人々から尊ばれる家に生まれることができます。

そうでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第四十四願 (聞名具徳の願・もんみょうぐとくのがん)

設我得仏他方国土諸菩薩衆聞我名字歓喜踊躍修菩薩行具足徳本若不爾者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、他の国の菩薩が六字の名号を聞けば

喜び勇んで菩薩の修行に励み多くの功徳を完全に身に具えるでしょう。

そうでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第四十五願(聞名見仏の願・もんみょうけんぶつのがん)

設我得仏他方国土諸菩薩衆聞我名字皆悉逮得普等三昧住是三昧至于成仏常見無量不可思議一切諸仏若不爾者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、他の国の菩薩が

六字の名号を聞いて皆、普等三昧を得て、仏になるまでの間

数限りないすべての諸仏の姿を身奉ることができます。

そうでなければ、わたしは決して仏になりません。

 

第四十六願 (随意聞法の願・ずいいもんぽうのがん)

設我得仏国中菩薩随其志願所欲聞法自然得聞若不爾者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、わたしの国の菩薩が聞きたく思う

説法を自然に聞くことができないなら。わたしは決して仏になりません。

 

第四十七願 (聞名不退の願・もんみょうふたいのがん)

設我得仏他方国土諸菩薩衆聞我名字不即得至不退転者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、他の国の菩薩たちが、六字の名号聞いて

不退転の位に至ることができないならば、わたしは決して仏になりません。

 

四十八願 (得三法忍の願・とくさんぽうにんのがん)

設我得仏他方国土諸菩薩衆聞我名字不即得至第一第二第三法忍於諸仏法不能即得不退転者不取正覚

たとえわたしが仏になることができても、他の国の菩薩たちが

六字の名号を聞きて、直ちに音響忍、柔順忍、無生法忍を得ることができず。

また諸仏の説法において不退転の位に至ることができないならば

わたしは決して仏になりません。

 

浄土真宗の経典『仏説無量寿経』に説かれる阿弥陀仏四十八願

すべての衆生を救い、平和・平等・自由の世界を願う阿弥陀如来

この四十八願に現代を生きる人間と社会の課題を尋ねられてる。